体操女子日本のエース的存在である、宮田笙子選手。
喫煙と飲酒が発覚し、パリオリンピックへの出場を辞退することとなりました。
そんな宮田笙子選手ですが、実家は京都の歴史あるお寺ななとか。
今回は、宮田笙子さんの実家について、調査しました!
ぜひ最後まで御覧ください。
宮田笙子の実家は京都のどこ?
宮田笙子選手の実家は、開基400年以上の歴史を誇る由緒正しきお寺だそうです。
京都市伏見区で、400年以上の歴史があるお寺は、以下がありました。
観音山常念寺
開基:慶長10年(1605年)
福聚山 観音院 阿弥陀寺
開基:元和元年(1615年)
能入山薬師院大信寺
開基:1581年
能入山薬師院大信寺は住職のお名前が宮田さんなので、このお寺かもしれないですね。
「お母さんも良い方ですしね。ご夫婦でお寺を切り盛りされていて、お父さんはお寺の息子さんですけど、外からご養子に入られたそうです。たばこを吸うなんて聞いたことないですよ。いつも元気で、沈んだりしているところを見たことない本当にいい子さんやった。ご両親もちゃんとした人で、未成年にたばこなんか吸わせるようなことはしない人。たから近所の人らはみんな応援していました。」
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近所でも評判の、良いご家庭だったようです。
宮田笙子の両親はお金持ちで職業は?
宮田笙子選手の家族構成は、両親と兄2人の5人です。
父は実家のお寺の僧侶をしており、母の宮田未央さんと切り盛りしているようです。
実家の和室には、6mのマットや小さい鉄棒、円馬なが取り揃えられていました。
この様子からも、実家は非常に広くて豪邸だったと思います。
宮田は兄2人と、お風呂上がりに必ず体操の演技を披露し合った。「娘はマットがすごい気に入っていた」と母。回っては「見て見て!」と、とにかく自分の演技を見てもらうことが好きだった。
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自宅の和室に体操器具がそろっているなんて、一般的な感覚ではありえないですよね。
母が競技生活をサポート
「笙子(しょうこ)」という名前は、母の未央さんがつけたそうですよ。
宮田笙子選手は中学生のときに、親元を離れて一人暮らしをしていました。
笙子選手を食事面・メンタル面で支えるため、未央さんも鯖江市内に引っ越したそうですよ。
「小学校に行かれてからは、ずーっと体操のお稽古やったと思います。ほとんどお稽古と家との往復で、中学からは地元を離れて、ほとんどこちらでお会いすることはなかったんです。でも小さい頃は外でお見かけすることもありましたし、うちに遊びに来たこともありました。陽気で人懐っこくて、誰とでも仲良くできる、良いお嬢ちゃんでしたよ。」
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初めての一人暮らし生活では、精神的に不安定な面もあったそうです。
兄の影響で4歳から本格的に体操を始め、福井県体操協会会長の故・小竹英雄さんに才能を見出された、宮田笙子選手。
「ぜひ鯖江に来てほしい」と勧誘を受けて、宮田笙子選手は地元・京都を離れます。
中学3年生のときに鯖江市の中学に転校し、その後、体操の名門・鯖江高校に進学しました。
天性の脚力で、体操業界で一目置かれ素存在だった、宮田笙子選手。
一方で、“精神面が課題”とも言われていたそうです。
そんな宮田笙子選手をそばで支えつづけたのが、母の美央さん。
共に福井県にうつり住み、一緒にアパートで生活することを決めたのです。
母が福井県に来てからは、宮田笙子選手のメンタルも安定したといいます。
宮田笙子には兄が2人
宮田笙子選手には、お兄さんが2人います。
体操を始めたきっかけは、お兄さんの影響でした。
兄がやっている姿を真似して遊んでいるうちに、どんどん体操にのめりこんでいきました。
このころから、才能が開花していたのですね。
お兄さんは一般の方なので、名前や画像は公開されていません。
ご実家が京都の歴史あるお寺なので、ゆくゆくはお兄さんたちが実家を継ぐのかもしれませんね。
まとめ
今回は、宮田笙子さんの実家について、紹介しました。
宮田笙子さんの実家は、京都にある由緒正しきお寺ということが分かりました。
実家には体操の器具がたくさん置いてあったそうで、かなりのお金持ちだと予想します。
今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。