東京ヴェルディから町田ゼルビアへ電撃移籍した、バスケス・バイロン選手。
青森山田高校時代から頭角を現し、全国高等学校サッカー選手権大会では優秀選手に選ばれています。
そんなバスケス・バイロン選手ですが、国籍が気になっている人も多いようです。
今回は、バスケス・バイロン選手について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
バスケス・バイロンの帰化や国籍まとめ!
バスケス・バイロン選手は、チリ出身のサッカー選手です。
本名は、バイロン・グスタボ・アンドレス・バスケス・マラガノ(Byron Gustavo Andres Vasquez Maragano)。
幼少期からサッカーを始め、チリ代表の試合を欠かさずみている子供だったそうです。
両親はチリ出身ですが、小学校3年生で来日し、埼玉県で育ちます。
外国籍の方は条件を満たせば、20歳の時に日本国籍を選び、帰化することができます。
バスケス・バイロン選手は2022年10月末に、帰化するための申請が完了したそうです。
なんと、必要書類が100枚以上あったそうですよ。
バスケス・バイロン選手は人生の半分以上を日本で過ごしていますから、日本代表としてプレーしたい!という思いがあったようです。
日本国籍取得へ準備を進める中、バスケス・バイロン選手はSNSで、日本名を何にするか呼びかけていました。
第1希望は、バスケス→「馬洲蹴洲」。
かなり難しい漢字ですが、サッカーにちなんだ「蹴」という字を入れたいようです。
ファンに他の漢字名も呼びかけており、リプ欄は大喜利状態となっていました。
バスケス・バイロンの両親はチリ出身で職業は?
バスケス・バイロン選手は、両親ともにチリ出身です。
小学校3年生のときに、両親の仕事の都合で来日。
青森山田高校に進学するまで、埼玉で生活していました。
現在も自宅は埼玉にあるそうですが、両親の職業は不明でした。
両親はともに外国人のバスケス・バイロン選手ですが、日本語はペラペラで、読み書きも完全にこなせるそうですよ。
青森山田高校の恩師・黒田剛監督いわく、バスケス・バイロン選手の両親は日本で働くのに苦労していたようです。
南米のチリから来たということもあり、決して裕福な家庭ではなかった言います。
しかし、バスケス・バイロン選手にサッカーを続けさせるために、黒田剛監督自ら埼玉の実家に出向いたそうですよ。
黒田剛監督が両親を説得したおかげで、青森山田高校に入学できたのですね。
黒田剛監督が親代わりに
青森では親元を離れるので、黒田剛監督が親代わりとなり、バスケス・バイロン選手の面倒を見ました。
家庭に負担がかからないように、最大限の配慮もしたそうです。
まさに、第二の父と言えますね。
青森山田から、いわきFCに入る際も、東京ヴェルディに移籍する時も、サポートをしてきたそうです。
バスケス・バイロン選手は高校卒業後の進路を決める際、外国籍選手扱いで出場機会に制約が生じることを懸念していました。
そこで、当時東北社会人サッカーリーグ1部で環境が整っている、いわきFCを選んだそうです。
また、バスケス・バイロン選手は最終的に海外で勝負したい、という目標があります。
黒田剛監督も、第二の親として『世界でプレーしてほしい』と期待しています。
そんな縁もあってか、バスケス・バイロン選手は覚悟を持って、黒田剛監督のいるFC町田セルビアに移籍しました。
自らを支えてくれてよく理解してくれる恩師がいれば、バスケス・バイロン選手にとっても頼もしいですよね。
まとめ
今回は、バスケス・バイロン選手について、紹介しました!
両親はチリ出身で、仕事の都合で日本に移住したそうで、日本語も完璧にこなすことができます。
日本代表としてプレーすることも目標に、帰化して日本国籍を取得したそうです。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。